2011年12月29日

父親の死

12月12日10時32分に父親が、他界しました。
84歳の生涯でした。
飛騨に生まれて、旧制工業高校・旧制高専を卒業して中島飛行機に憧れていたようですが
教員となって定年まで務めました。
厳しい父親で、殴られたり、真っ暗な蔵に閉じ込められたり
小さい時の思い出は、恐くて恐くて仕方なかった。
教員の為に早く帰ってくることが多く、毎晩家族一緒に夕御飯を食べていましたが、
私は食べ終わると出来るだけ顔を合わせたくないので直ぐに自分の部屋に戻っていた。

そんな父親と東京で一緒に呑んだ中での思い出は、大学生の時下北沢の居酒屋さんでした。
そのお店は納豆汁が美味しくて、お店の出入りに太鼓を叩いてくれるので
父親も記憶に残っていたようで、いつ迄もそのお店の話をしていました。
それと、私の就職後父親が仕事で東京に上京してくる事に
なったので、当時一番高い京王プラザホテルを予約して歌舞伎町の奥に有った
白川郷という合掌造りを移設した料理屋で呑んだ。その料理屋のお酒は竹の筒に入っており、お酒を杯に入れる度に、良い音がして気分が良かったのか父親は泥酔して京王プラザホテル
に泊まったことを覚えていなかった。

以前務めていた会社の仲間と車二台で、田舎に遊びに行った時は
父親も大勢の訪問で嬉しかったのか
蔵から火縄銃を持ってきて見せたり、わたしも聞いたことが無かった
芸者さんとお酒を飲む時の盃の受け方等
来た皆に一生懸命話をしていたことも、有りました。


そんな父親から4年前電話が、私に掛かって来た。
「手が痺れている」と
直ぐに友達の脳外科医に電話して相談すると早く病院へ
と言われて、診てもらったところ
軽い脳梗塞と言う事で2週間の入院となった。
その後何回か入院することになったので
東京に両親を呼び寄せる事にしました。

家の前に有るマンションに両親が、住む事になった。
両親は、近くのスーパーやコンビニに二人で手をつないで買い物に行っていました。
特にコンビニでは、評判の夫婦だったようです。
コンビニに入っていつも同じ道筋で歩いて購入したようでした。

東京に来てからは、二人とも病院通いで、その仕事のほとんどは
わたしの奥さんが対応してくれていた。
デイサービスも利用しました。

呼び寄せについては、日経新聞夕刊にも紹介され、その記事が田舎の新聞でも紹介されました。

10月には、父親の希望で二泊三日で田舎に連れて行った。
その時、親戚はの挨拶周りしたり、お墓参りしたり
久しぶりの田舎の空気を、味わって満足していた様でした。
その時は、まさかこんなに早く亡くなるとは、思っていませんでしたが
これが最後の田舎かなっと漠然と考えていました。

11月23日朝から背中が痛いということで湿布を貼っていたようです。
それが午後16時前に救急車で運ばれた。
丁度その時は、名古屋に出張で新幹線の中だった。
父親の携帯がなったが出られなく、その後家族からの電話で
救急車で運ばれたことを知った。

名古屋に着いてから家族に電話して確認した所、水分不足による体調不良ということで
点滴をしている連絡だったので、そのまま名古屋に留まることにした。
夜になって急遽家族が病院に呼び戻された。
一時心停止した。
今週一杯持たないかもしれないとの話で次の日の朝一番で東京に戻った。

病院にいったところ、父親は集中治療室で話すことが出来るまでに
復活していた。
輸血が功をそうした結果でした。
先生から父親の病名と説明を受けた。
「大動脈破裂か解離」である。
場所が、心臓から伸びている大動脈
しかしいつまた破裂か解離が起こるかわからない。
私が到着する迄は、奥さんが病院に泊まって居たので
交代して泊まることに

先生から手術の選択の説明が、有りました。
現在手術出来る可能性は5割以下ですが、どうされますか?
もし痛い思いをして手術しても助かる確率から考えてその時点では
手術しない事を、決断した。
流石に仕事上の判断と違い人の命に関わる判断だったので
やはり躊躇

入院二日後、さらに回復したので
先生から手術の成功率が5割以上になったとの説明。
ここで手術する事を、再度決断して
手術出来る病院に転院することとなった。

転院先の病院で精密検査して頂いたところ、
破裂か解離しているのが、背中のため手術は、出来ない事が
判明した。
これからは、内科治療で進めるしか無いと説明頂いた。

亡くなる3日前には、順調にリハビリ出来ており
ベッドの横にも立てる様に迄回復していた。

ところが翌日から血液中の酸素濃度が、悪く
亡くなる前日は、意識はあるものの呼吸が苦しそうで
マスクの酸素濃度をあげてもらったり、
注射で薬を投与頂いて酸素濃度も90%近く迄回復
しましたが、翌日は朝から調子が、悪なったらしい。

病院から電話があった時は、来客中で家族で病院に着いた時は、
既に息を引き取っていました。

戒名も「釈正見」に決まり、これからは魚藍坂のお寺さんでゆっくり休んで貰います。










posted by あてさん at 06:45| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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